#ガセ雑学
— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) May 14, 2020
>土用の丑の日は平賀源内が考案したキャッチコピー
というのは誰もが知っているけど、実際にはガセ。
夏場、売り上げが落ちたウナギ屋に頼まれ平賀源内が『明日、土用の丑の日』というキャッチコピーを考案。店頭に貼りだし夏場の痩せたウナギが大人気になった。
と言われているが
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平賀源内がそのような事を書いた文献はない。
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Wikipediaでは風来山人名義の『里のをだまき評』で「土用の丑の日に鰻を食べると滋養になる」と記述したと書かれているが、実際にはそのような文面はなく、その中でウナギの記述は「深川の地は陽気がよく、牡蠣・蛤・鰻が捕れる」としか出て来ない。
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平賀源内に関して、明治29年に生前の記録を妹の子が集めた資料を基に『平賀源内』という伝記本が出ているがそこにはウナギの話はない。
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初めて平賀源内と土用丑を繋げた文献は、死後133年、大正2年に書かれた『神田の伝説』の中にある。売り上げが落ちたウナギ屋のコピーを書いた話として。
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土用の丑の日とウナギがいつ結びついたのかというと、文化文政時代の曲亭馬琴の日記や、近代風俗氏の基礎資料になる『守貞謾稿』にもない。
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『山形経済志料』に「天保年間(1831-45年)は土用丑に鰻を食べる習慣は無かったが、嘉永年間(1845-55年)に誰彼もが食べるようになったと書かれている。
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そして『山形経済志料』では明治時代に入って土用丑は廃れてしまったと書かれている。
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どうやらそのタイミングで前述の大正2年『神田の伝説』が書かれ、そこから「平賀源内が土用の丑の日にウナギを食べようと言い始めたんだってさ」がスタートしたらしい。
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ちなみに「土用の丑の日=ウナギ」は古くから言われているが、平賀源内とセットで盛んに語られるようになったのは平成以降。1971年のNHKドラマ『天下御免』や、石森章太郎の1987年の漫画『平賀源内 解国新書』でも扱われていない。
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詳しくは↓https://t.co/m5WrnKc7ZQ
松本零士も1989年に大量の資料をかき集め『GENNAI 明日から来た影』という書き下ろしコミックを出版しているけど、さまざまなエピソードが描かれている中、ウナギの話はまったく出てこない。 pic.twitter.com/47d9K2nhzD
— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) September 5, 2021
真相は如何に?